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森に続く小径を今日も往く。その森の奥深く、生命の泉があふれるところ。思い出すように、懐かしむように、足裏をしっかりと地につけて、歩む。
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私の父は、記録に残るほどの 大きな台風の翌日に生まれたため

名前に その標しがついていた。

小さい頃は 弱虫で泣き虫だったと、本人から よく聞かされた。

ある事件(背中から刀で切られた)を きっかけに

「負けるものか」と、人生の強者へ向かって 転換を図ったのだ ということだ。

娘としての 私が 知っている父は、彼の ほんの 一面でしかないことは


充分 わかっているが、父について 書き残したい事柄が いくつかあり

ブログにも 何度か 書きとめておいた。
  ↓

『感謝の言葉を受け取る』

『小さなお葬式』

『海に還る』



今日、あらためて 思い出したことがある。

それは、ハエにまつわる 話。

時は 2015年12月に 遡る。





病院から 父の危篤の知らせがあった 月曜日から

火葬がすむまでの 三日間

12月とは 思えないほどの 暖かい陽気が 続いた。

そのせいも あってか、

父の遺体を 寝かせてあった 部屋に、一匹のハエが 入り込んできた。

ハエは、父の上を 舞うように飛んでいて

気になった私は、ハエが 父から離れるのを 見計らって

折りたたんだ紙で パシッと 叩き落した。

手ごたえは 確かにあったのに、ハエは どこにも落ちていない。

もちろん、飛んでもいない。

誰かが知らずに 踏んづけても困るなあと 思って

相当 念入りに調べたけれど、ハエは どこにも 見つからなかった。

そんなことがあった翌日、父の遺体は 火葬場へ。

抜けるような 青空のもと 荼毘にふされ

81歳の生涯に 幕を閉じた。

(息を引き取ったのは 二日前だが、残っていた肉体も なくなった。)

それが 水曜日。

翌 木曜日、天気は 打って変わって 荒れ模様となり

台風さながらの 嵐となった。

太平洋上では 本物の台風までもが 発生したというニュースがあり

台風の申し子の 面目躍如か・・・

父も なかなか オツなことをしてくれる・・・と、一人で苦笑いしたものだ。



翌週、役所やら 銀行やらへ 手続きのために 走り回っていた時のこと

一つ目の銀行で 書類にペンを走らせている私の周りを 

一匹のハエが 飛び回って 邪魔をする。

二つ目の銀行でも また ハエが 寄ってきて、ペンの上に止まる。

ハエは 一匹だけなのだ。しかも 他の人のところへは 行かない。

ここまでくれば、さすがに 私も ハエが 何かの意味を 持っていると

考えざるを 得なくなったが、父がついて来ているのかな?・・・

ぐらいのことしか 思い浮かばなかった。

そして 三つ目の銀行には、ハエは 来なかった。



さて、ハエのことなど すっかり忘れてしまっていた その年の 年末、

父が使っていた部屋の 大掃除をしようと

タンスの引き出しを あけたとき・・・

(タンスの中身は すでに 全て出してしまって 整理済みだった。)

空っぽの 引き出しの中に 一匹のハエが コロンと ころがって死んでいたのだ。

「なんで、こんなところにハエが・・・」

と 思うより先に

「こんなところに いたの・・・。」

という言葉が 私の口を ついて出た。

父のことを ハエのような人間だったとか、そんな風に思っているわけではない。

ハエという虫が 常識的には どんな風なイメージを持たれているかを

私も承知している。(だから、あの時も 叩き落したのだ。)

しかし、ガランとした 引き出しという 空間の中で 

小さく 転がっている 黒い虫が 

何かのメッセージを 私に 伝えているのだろう ということだけは

はっきりと わかった。

父からの メッセージとは 限らないが、その可能性も ある。




あれから もう 一年半が 過ぎようとしているのに

実を言うと、未だにそのメッセージは よく わからないままなのだ。


心当たりが ないこともない。

もう 何年も前(父が健在だった頃)に 見た 「父とハエ」 の夢が 

少しヒントには なっている。

でも、自分の中で すっかり 腑に落ちるには

まだまだ 何か・・・決定的な何かが 足りていない。

もう少し 様子を見たいと 思っている。








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今朝方に見た夢




朝、出勤の前に

家の近くにある ホームセンターに立ち寄る。

レジには なぜか 図書館の館長と 司書の女性が立っていて

司書の女性が レジを打っている。

二人は、図書館で主に働きながら ホームセンターでアルバイトをしているらしい。

(かなり強引な設定。夢にありがち。)



私の買い物は なんだか覚えていないが、(180円だったかな)小さくて安いもの。

財布を出そうとして、あれ?バッグがない。

家に忘れてきたのだろうか・・・取りに戻ると、出勤の時間がギリギリになる・・・

一瞬 いろいろ考えて、結局 お金(バッグ)を 取りに帰ることにした。

ホ-ムセンターの入り口まで戻ると、なんとそこに 私のバッグが落ちていて

財布が 外に転がり出ていた。

「なんで、こんなところに?・・・」

まあ、家まで帰らなくて済んだから、なんとか仕事には間に合うなと思って

もう一度レジに並ぶ。

すると、レジにいた 図書館司書の女性が、館長に

「早く出ないと、仕事(図書館の)、間に合いませんよ。」

と、言っている。

館長は 私に こう尋ねた。

「ここから 図書館まで 何分くらい かかる?」

私は、「私の家から10分くらいですね。」

と、答える。(なぜ、「ここから」ではなく、「私の家から」と答えたのか不明)

「今、52分か。なら、間に合うな。」

と言って、館長は急いで出て行った。




目が覚めてから、

そうそう 司書の名前は 確か「森さん」で、館長の名前は「林さん」

ああ、森林か・・・と、一人つぶやいた。

図書館は、ある意味 森林のような場所だ。

本が 紙でできている という事以上に。






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春先、まだ風の冷たい ある朝のこと

洗濯物を干そうと 私は庭に出た。

ふと、目線を下に落としたとき

物干し竿の下に メジロを見つけた。

怪我をしているのかもしれない・・・

そう思って、メジロをそっと 手のひらに乗せてみた。

すでに 息が絶えているようだ。

見たところ、外傷はない。

いったい全体、どんな事情があって 

メジロは ここで 息を引き取ることになってしまったのだろうか?

手のひらの中のメジロは もう ぬくもりも やわらかさも 失われて

小さなムクロと なっていた。



このときの事は、以前もう一つのブログ「窓辺の猫」


(今は「月夜の海、朔の森」)に 書いたことがある。



庭の隅に メジロを埋めてやりながら 思ったこと・・・。


人間が墓を作る 元々の動機は、植物の真似にあったのではないかと。

案外、植物の種が 土から芽を出すのに倣って(あるいは、あやかって)

一つの生涯を終えた者の 再生を 願ったのかもしれない。

『見えない土に還る』



さて、こうして 私の小さな森にも メジロが還ってきた。


そのメジロに 引っ張られるようにして

ウグイスも 還ってきた。



と言うのは・・・


「ウグイス色をしたメジロ」という 私の勘違いから 生まれた物語があったのだ。

ウグイス色として 一般に認識されている色は、実はメジロ色。

メジロもウグイスも 知っているくせに、勘違いをしていたことがきっかけで

私は、メジロからウグイスへと 連想ゲームのようにして

一つの物語を 書いたことがあったのだ。

それが、今、何か合図でもあったかのように

一つところへと 集まり始めている。



ブログ『りとる ふぉれすと』は、これまで単なる夢の記録だった。


しかし、思いもかけず この森に 動物たちが現れ始め

そのことも また記録しておきたいと 思った。

記録は、もちろん「言葉」で行う。

だが、言葉の宿命として

表出した先から 零れ落ちていくという はかなさが あり

書けば書くほどに 言いたいことから遠ざかってゆく もどかしさが ある。

ある意味、言葉は 表に出た途端 腐敗し始めるのだ。

そして、その 言葉から洩れてこぼれた エッセンスのみが 

言葉の裏側の異次元で 醗酵を 始めるような気が した。

言葉を紡ぐとすれば 腐敗する言葉(名づけ、意味づけ)を解体し

醗酵を促すような、いつか、そんな言葉を 紡げたなら・・・と

叶うものなら そんな物語を 紡いでみたいと 願っている。 











 

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寝室がある 西の部屋の 西の窓に、白いバツ印の クモの巣が

払っても 払っても 毎日にようにできていて

それがまた でっかくて

「お前の人生、バツだよ、バツ。ペケでもあるし 罰でもある。」

まるで、そんなふうに クモに言われているようで

毎日が 重苦しく

朝になったら、また あの巣を払おうと 思いながら 

眠ったものだった。




「コガネグモ」の画像検索結果


ある日、近所のお寺で 子どもたちを遊ばせている時のこと

多分、近くに住む お婆さんなのだろう

一人の老婆が、大きなクモを手に持って、私たちに近づいてきた。

「ほら、コガネグモ。」

と、子どもたちに 一匹の大きなクモを差し出した。

私は一瞬ビクッとしたが、老婆は悪びれた様子もなく

「私らが小さい頃は、このクモで よう遊んだもんや。」

と言う。

そのクモは 黄色と黒の縞模様で、毒はないのだそうだ。

それは、家の西の窓に いつもバツの巣を作っていた あのクモだった。

私は、クモで遊んだことなど 一度もないし

ただ、気持ち悪いもの・・・という印象だけがあり

特に、その頃は 

毎日のように バツ印の巣をかけられていたものだから

老婆が、楽しげに クモの遊び方を話してくれている時も

どうにも居心地が悪い感じで、頭は上の空だった。



それから、私は

西の窓のクモを 徹底的に駆除して(巣を払うだけでなく)

ようやく、バツ印を見ないで眠れるようになったのだが・・・。

この、クモが持つ深遠な意味を 知ることになるのは

それから 十年以上も経ってからのことになる。




クモは「世界の創造」の象徴。

言葉という糸で 幻想の世界を紡ぎ、

そうやって出来た言語空間が 我々人間にとっての現実世界。

物質世界という幻想の巣に捕らわれると、巣の外の次元が見えなくなる。

「言葉」と深く結びつく クモ。

カエルと同様、水中から陸へと上がる 境目に存在する。





まだまだ、多くのメッセージを クモは携えている。


このようなことを 全く知らなくても

クモは おかまいなく メッセージを 送り続けてくれたのだ。

おまけに、見知らぬ老婆までが 現れて

クモとの遊び方(付き合い方)を 教えてくれた。

いつか、私が 私自身のクモに気づくときのことを

コガネクモは ちゃんと 予見していたのだろう。





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以前、セミの翅が背中に生えた 少年の夢と

我が家の壁で羽化したセミの話を 書いたことがあった。
 ↓
OZAKI君


ちょうどその頃の セミに関するエピソードが

またまた次男坊に絡んで 思い出された。 





夏休み前の、暑いある日

次男坊が

「ただいまーっ!!」

と、元気よく帰ってきた。

「おかえり。」と言うと、次男坊は ランドセルを肩からおろしもせず 

胸を 私の前に突き出すようにして 

ふん!という感じで ほこらしげに 胸を張った。

何?・・・

見ると、次男坊の左胸に まるでブローチのように

一匹のセミが とまっていた。

「どうしたの?」

「学校から帰るとき、飛んできてここにとまったん。」

へえ~っ!・・・と驚く私。

「セみの方から飛んできたの?捕まえたんじゃなくって・・・?」

「うん。そんで、学校から家まで一緒に帰ってきた。」

学校から家までって、3キロ以上はゆうにある道のりを

なんとまあ・・・

セミも もの好きな・・・・。



次男坊は、虫かごに そのセミを入れ

翌朝、また自分の胸に セミをとまらせて、学校に行った。



その日、次男坊は 学校まで セミと一緒に登校し

校庭の木に 止まらせて、教室に入ったのだと言った。

まさか、これから毎日 セミと登下校することには ならないだろうと

思ってはいたが

案外、すんなりと 翌日にセミを放してやったと言うし

次男坊の顔が、なんだか 以前より大人びて見えて

ちょっぴり 頼もしくなったなあ・・・なんて、思ったものだ。

この少し後に、セミの羽化の一部始終を

自宅のダイニングの壁で 見ることができたのも

面白い話だなあと 思っている。

その時の話は、どうぞこのページでご覧になってください。

 ↓
OZAKI君

永遠の少年・・・OZAKI君の夢。

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